米百俵まつりとその精神

1868年の戊辰戦争で焦土と化した長岡に届けられた百俵の米。当時の小林虎三郎(江戸に遊学、佐久間象山の門下に入り、吉田虎二郎(松陰)とともに二虎と称せられる)がこの米を売って資金を作り、国漢学校の整備にあてました。

 

 

「国が興るのも、滅びるのも、ことごとく人にある。
その日暮らしでは長岡は立ち上がれない。食えないからこそ、学校をたて、人を育てるのだ」

 

この思想をたしかめるべく、夏に坂の上小学校伝統館を訪れました。伝統館では、子供たちが退屈しないように長岡城模型の場所に「おばけ」探しのコーナーを設け遊びも取り入れています。

 
さて話を戻して、10月8日に開催された「米百俵」まつりでは、戊辰戦争の時にともに戦った会津藩がパレードの先頭を切りました。
今年の東日本大震災で被災した福島県の人々の復興への祈りを強くしたと同時にあらたな親近感を覚えました。

パレード前、少し離れた控え場所に黒服を着て長い白髪を身に纏っている男性に「あなた様は何の役ですか?」と聞いたところ「私が出なければ戊辰戦争が始まらないのですよ。黒田了介(清隆)です。と答えました。黒田さん、長岡をそんなに虐めないでと一瞬思いってしまいました。

長岡藩は、徳川家のお膝元、三河から来た牧野家の大名です。最後まで忠心を貫いた藩でもありました。パレードに参加された殿様は牧野家の子孫。お馬さんが少し興奮気味でした。

カメラに夢中になって、籠に自分の頭をゴツンとぶつけてしまい、籠やに扮している中学生に「大丈夫ですか」と心配されてしまいました。
その中学生に「何をするの?」と聞いたところ「参勤交代です」と。
歴史勉強にはもってこいの祭りだと思いました。

場所を変えてメインステージに近い場所に移ると小学5年生の女の子が目をきらきらさせて大通りに映し出されている大画面を見つめているのです。 その女の子は私に「米百俵」の詳しい説明をしてくれました。6年生になったら「米百俵」の英語劇するんだと言って見物客の中に消えていきました。

長岡に7月に赴任してきたというアメリカ人夫婦は日本の歴史にとても興味があると言ってパレードを見ていました。

江戸時代の女性の旅装束やお姫様姿をみて私もあのような格好をしたいと言ってました。とっさの質問に答えるほどの英語力は持ちえておりませんでしたが分かる範囲で答えました。それよりはこの土地についての歴史を即座に説明できる知識が必要だと痛感した一日でした。


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